宇宙が大好だった少年の話
※今回は長文な上に駄文です。物好きな方だけ読んでください。
ただ純粋に宇宙が好きだった頃の少年の夢と後悔の話です。
宇宙、無限の可能性と夢がある場所。
多くの人が宇宙に夢を見て、焦がれ、今日も夜空を見上げます。
今から約10年前、九州に何処にでもいる普通の少年がいました。
その少年もまた宇宙が大好きで、宇宙の本や、ニュースなどを毎日見ていました。
そんな少年の将来の夢は”宇宙飛行士”でした。
人類初の月面着陸に成功した”アームストロング船長”の姿を見て、
「月にいけたなら火星、木星、土星、天王星、海王星、果ては銀河の外だって行ける。
人間はそれだけの力と夢を持っている」
と少年は思いました。
2003年、小惑星探査機はやぶさが打ち上げられました。
当時は任務内容などは知らず、はやぶさが帰ってくる頃の自分を想像して、「きっと宇宙一直線なのだろう」と思っていました。
はやぶさに関しては「遠い旅になるけど、きっと任務を達成して帰ってきてくれるだろう」と思っていました。
1年後、少年は宇宙の図鑑を手に入れました。
ボロボロになるまで読むことになるこの本を、少年は夜も抱いて大切にしていました。
宇宙論などの難しい話はわからないものの、理解する努力と何度も読み返すことで、少しだけ理解できた気がします。
少年の親は「何度も読んで楽しい?」と聞きますが、そんな質問は愚問でした。
楽しい、楽しくないの問題ではなく、少年はただただ宇宙が大好きだったからです。
さらに翌年、少年は生まれて初めて科学館へ連れて行ってもらいました。
一番時間をかけて隅から隅まで見たのは宇宙コーナー。
そのコーナーに書かれているほぼ全ては、本などで既に知っている知識。
それでも何度も何度も、隅から隅まで読み返していきます。
普段、誰も聞かないような音声による解説も全てを聴きました。
この頃から、少年の夢は”天文学者”への移り変わっていきました。
当時の少年の日記にはこう書かれていました。
「この宇宙という世界には、知らないことがたくさんある。
そのことを調べて、知ることが出来れば、さらにその先を知りたいと思う。
“知らないことを知りたい”、それは人間としては当たり前の興味と好奇心。
僕はきっと宇宙に行きたいわけではない、”宇宙というものをもっと知りたい”。
だから、宇宙飛行士ではなく、天文学者になりたい。」
さらにその半年後、少年はプラネタリウムに行きました。
初めて見る満点の夜空の下、鳥肌が立ちっぱなしで、気が付けば涙も出ていました。
ここまで感動的な景色を見ている私は幸せものだと、少年はそう思いました。
そのプラネタリウムには”星空スタッフ”といわれるボランティアスタッフがいました。
「15歳以上であれば、誰でも参加可能」でした。
中学校を卒業したら絶対に星空スタッフになると心に誓い、プラネタリウムに通い続けました。
「プラネタリウムはすごく感動した。
何かを見て感動で泣いたのは初めてだった。
今でもあの星空を思いますと、胸が苦しくなって涙が出てしまう。
あの夜空が毎日空の上には広がっているのが信じられない。
暗い星は周囲の家々などの明かりで見えなくなってしまう。
もしも、あの星空を皆が見たら、光害は少なくなるのだろうか。
夜中に大きな音を出すと近所迷惑になるが、光は出しても良いのか。
もう少し、もう少しだけでいいから、夜の光が少なくなってほしい。」
少年は中学生になりました。
「宇宙のしくみ」という本がお気に入りで、四六時中読んでいました。
やがて、その本の中の”ある1章”に興味を持ちます。「宇宙論」の章。
日記から。
「観測された宇宙は既に知っている世界、まだ観測されていない宇宙をも見据える宇宙論。
観測されていない世界を想像するのは、自由なはずだ。
既に知っている世界を調べ直すのも楽しいが、知らない世界へ足を伸ばすほうがきっと自由で楽しいだろう。
宇宙論の中でも相対性理論・量子論・ひも理論は宇宙学だけでなく、物理学でも重要なものらしい。
(中略)
宇宙論で語る”観測されていない世界”はただの妄想でしかないのかもしれない。
でも、それを誰も否定することは出来ない。
僕の宇宙と、他人の宇宙、それらは今はまだ同じである必要などない。
自由な想像と妄想で世界を広げ、”ありえない”は禁句。
相対性理論を作った”アルベルト・アインシュタイン”の言葉、
“私の成功の秘訣がひとつだけあるとすれば、ずっと子供の心のままでいたことだ。”
子供レベルの想像だって良い、その想像だって間違ってるとは誰も言い切れない。」
この頃も月1,2回はプラネタリウムに通っていました。
やがて少年は高校受験を始めます。
少年が選んだ学校は県外の高等専門学校。
受験は成功し、少年は沖縄へと向かい、しばらく宇宙とも少し距離を置くようになります。
沖縄にはプラネタリウムもなく、そして宇宙ニュースを見ることもなくなります。
2010年、小惑星探査機はやぶさが、60億キロという旅と任務を終え、帰還しました。
高専入学後、宇宙ニュースを見ておらず、はやぶさの情報も入って来ませんでした。
TVニュースで、はやぶさ帰還を知った少年は、ただ一言心で「おかえり、お疲れ様」とだけ思いました。
しかし、少年は少しだけ後悔しました。
某SNSの日記下書き文章にはこう書かれています。
「高専という道へ進んだのは正解だったのだろうか。
周りの人は、”良い道だ”と言うし、褒めてくれる。
でも、はやぶさの帰還以来、小学生の頃の夢をどうしても思い出してしまう。
目の前の夢ばかりを追い続け、遠くの”宇宙”という夢と目標をいつの間にか見失っていた。
小中学生の頃の自分から、宇宙を取ったら何が残っただろう。
ただ”人”というカラだけなのかもしれない、そのくらい宇宙は自分の大半を占めていた。
情報工学には凄く興味がある、でもそれ以上に宇宙に興味がある。
結局、自分は逃げたのかもしれない。”宇宙”という難しい目標ではなく、”情報工学”という現実味のある夢へと。
だから、最近では高専という道は間違いだとは思わないが、正解ばかりではないと感じている。」
そんな少年は今、南の島の高専で元気に過ごしています。
さて、こんな内容の記事を書いた理由があります。
一つは、部屋の掃除をしていたら昔の日記を見つけたこと。
そして、もう一つ・・・。
2012年8月25日。
私の中の英雄が一人、死去されました。
“宇宙飛行士”という夢を抱かせてくれた、英雄。
人類初の月面着陸を成し遂げたニール・アームストロング船長です。
そのニュースを見た時に、ショックを受け2日ほどショックで落ち込みました。
岡山に向かう新幹線の中でアームストロング船長の死去を知り、少しだけ泣きました。
最近は、そんなニュースを見るたびに、宇宙が大好きだった自分を思い出し、胸が苦しくなります。
今でも好きですが、「”夢”ではなくなってしまった”宇宙”」に対して、昔ほどの魅力を見いだせなくなりました。
星空スタッフにすらなりきれない自分に苛立ち、悔しい思い出いっぱいです。
「一つの夢を追うということは、他の夢を諦めること」だと誰かが言っていましたが、こんなに若くして実感するとは思いませんでした。
そんな私は今、星空案内人の資格取得を目指しています。
時期が合わず、講習を受けに行けませんが、時期が合えば絶対に資格を取得したいです。
この資格は”宇宙に憧れと夢を抱いていた頃の自分がいた”という証明として絶対に取ります。
今回は駄文でした、ここまで読んでくれた方には感謝致します。
ありがとうございました。次回は役に立つ記事を書きたいと思いますので、またよろしくお願い致します。
それでは。
麻倉ゆえ@星空案内人
2012年9月8日 - 2:03 PM
自分の姿と重なります……
私も宇宙の図鑑を枕元に置いて眠っていました。(笑)
宇宙飛行士や天文学者になる夢を抱いたけど、
やっぱり叶わないだろうな……と思うようになって数年。
以前ちょっと紹介した星空案内人の資格、
本気で目指してくれているんだなーと思って嬉しいです。
私も似たような気持ちを抱えて星空案内人になったので。
最近は宇宙に関する検定試験も複数できたので、
機会があれば受けてみるのもいいかもしれませんね。
宇宙に憧れ、知りたいと思う仲間として、応援しています。
想いがあるなら、いつになっても大丈夫。
かまぼこ
2012年9月9日 - 8:20 PM
宇宙飛行士や天文学者になれる方は、本当に凄いなぁと思います。
子供の頃は僕達と同じように、純粋に宇宙が好きだったんだとは思いますが、”夢”を実現するのは情熱と努力は凄いです。
星空案内人、定期的にHPをチェックしに行ってます。
ですが、なかなか時期が合いません。
時期さえ合えば、本気で資格取りに行きたいと思っています。
もう少しメジャーになったら、講習開催場所も増えるのかなぁと期待してます。
あとは、天文宇宙検定とかも取得したいですね。
一生、宇宙大好きだと思うので、将来は何かしら宇宙に関することをしてそうです。
天体観測が趣味なったり、星空スタッフのようなボランティアだったり。